100周年記念事業

サワライズのルーツ「姪濵鑛業」

サワライズのルーツは、大正3(1914)年12月、現在の福岡市西区姪浜地区に誕生した「姪濵鑛業(後の早良鑛業株式会社)」まで遡ります。

姪濵鑛業は、時には順調に、時には時代の波にもまれながら国家基盤のエネルギーである石炭を産出し続けましたが、多くの炭鉱が姿を消した昭和30年代には早良鑛業も閉山の道を歩むことになります。
しかし、その後も、炭鉱を母体にしながらも新たな企業を興して新分野に進出、企業合併で生き残りと発展を続け、平成26年12月1日、姪濵鑛業をルーツとするサワライズは設立100周年を迎えました。

 

姪濵鑛業から早良鑛業へ

姪濱鑛業は設立後、設備の充実に努め、第一次世界大戦の大戦特需の際には年間約21万トンを出炭。しかし、ずっと順調だったわけではなく、大戦特需の反動や戦後恐慌、海岸近くに立地することで起きる坑内への浸水、その後も戦争特需や国のエネルギー転換や輸入増加、労働者のストライキなど、様々な時代の流れに翻弄されました。

成長と苦闘、そして閉山へ

第2次世界大戦以降、国内石炭産業はいっそうの逆風にさらされることになり、早良鑛業は、生産現場における合理化や従業員の意識改革、事業主病院早良病院の開設、保育園開設やレクリエーション開催などの環境整備を含めさまざまな生き残り策を展開いたしました。しかしながらその努力も実を結ぶことはなく、昭和36年には本坑の採掘終了、翌昭和37年には全面閉山に至りました。こうして大正3年の創業以来、地域の発展に寄与してきた早良鑛業の50年余りの炭鉱の歴史に幕を下ろしました。

無血閉山に向けた労使一体の行動

閉山が粛々と進む中、社員の行く末を案じたさまざまな施策も講じ、離職者のために690名の再就職斡旋や、北海道における新たな炭坑を開発いたしました。一方では、社員に自動車運転技術の指導員育成を行い、自動車教習所を開設。また、釘・鉄線を製造販売する福岡鋼業所を設立いたします。早良鑛業全社員のそのような協調精神はその後の事業多角化にも大きな影響を与えました。そして、大都市・福岡に土地を有していたことで、事業の多角化は閉山後に活発になりました。

昭和21年から始まっていた多角化戦略

早良鑛業は福岡市内の広大な土地を活用し、次々と新事業を展開いたしますが、その事業多角化は昭和21年の九州興業株式会社から始まっておりました。設立当初の九州興業の主目的は、早良鑛業から仕入れた石炭から燃料を製造し従業員に販売することであり、他にも石材の採掘加工及び販売、各種木材、物品などの販売を行っておりました。昭和37年には姪浜自動車教習所が誕生、49年には現在の地に早良病院を移転開設いたしました。
福岡鋼業所は主力部門として発展を遂げ、昭和42年には軽量形鋼工場を建設、昭和54年の第2次オイルショック以降の数年間、日本経済が不況に陥り、また、韓国や台湾などからの低廉品が大量に輸入されたこともあり、国内市況は極めて低調に推移いたしました。不景気の波が続く中、線材製品多角化の一環としてクリーニング用ハンガーの製造を開始。形鋼製品の多様化と需要促進を図るため、カラーC形鋼設備を導入し、平成8年には生産シェア95%を占めるようにまで成長いたしました。常に時代の変化に合わせて変容・発展してきたサワライズの多角化の道を歩む企業姿勢は当時より変わりません。

地域住民に役立ち、喜んでもらえる事業を

昭和52年以降は、早良鑛業が所有する遊休地の活用が積極的に進められ、大手スーパーと賃貸契約を締結し、昭和58年にはマンション事業にも進出。その後も、介護分野への進出として、平成17年「グループホームあたご桜花」竣工、平成26年には住宅型有料老人ホーム「テラシス桜花」を開設するなど、地域住民に役立ち、喜んでもらえる事業を展開してまいりました。
いままでも、これからも、私たちは人と縁を大切に、継続・維持・発展する会社を目指します。ともにあしたへ。

  • ▲サワライズ本社

  • ▲フューテックセンター

  • ▲カルシア姪浜ノヴァリア

  • ▲姪浜ドライビングスクール

  • ▲早良病院

  • ▲テラシス桜花

  • ▲あたご桜花

  • ▲小戸ゴルフセンター

  • ▲三原機工株式会社

  • ▲あたごはま幼稚園

  • ▲あたごはま保育園

設立当時から時代を超えて受け継がれる思い。そしてサワライズは2014年12月、設立100周年を迎えます。